奥付を見たら2年前の本なのに、買ったことすら忘れていた。
![音楽のアマチュア [単行本] / 四方田 犬彦 (著); 朝日新聞出版 (刊) 音楽のアマチュア [単行本] / 四方田 犬彦 (著); 朝日新聞出版 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41-%2BGxz7GwL._SL160_.jpg)
四方田犬彦さん。
いまさら紹介など必要もない著名な方である。
1953年生まれ。
東大、東大大学院を出、韓国の建国大学、コロンビア大学、ボローニヤ大学、テルアヴィヴ大学などで客員教授・研究員を勤め、現在は明治学院大学教授として映画史を教えている。
著書は100冊を超え、扱う世界も、専門の映画史をはじめ、映像、文学、都市論、料理、音楽と多方面に及び、サントリー学芸賞、伊藤整文学賞、桑原武夫学芸賞など数々の賞を受賞されている。
まことにきらびやかな経歴。
プロフィールをみているだけで目がくらみそうだ。
なかにこんな1行がある。
・・・幼少時より、ピアノ、口笛、イングリッシュ・ホルン、トランペット、チェロを手掛けるも、いずれも挫折。
なんでしょうか、これは。
こんなプロフィール、見たことがない。
こと音楽に関してだけはアマチュア、を強調せんがためのものなのか。
それにしても、口笛、とまで書きますか。
ご自分の立ち位置をはっきり示しておかないと気がすまない人、なのかもしれません。
付き合う編集者が苦労するタイプの先生かなと、元編集者としては思ったりもする。
まったく違うかもしれませんがね。
プロフィールだけでこんなことまで考えさせてくれる本なんて、めったにありません。
『音楽のアマチュア』は、クラシック、民族音楽、ジャズ、ロック、歌謡曲と多方面の音楽家40人ほどが登場する音楽エッセイです。
ジャズでは、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、ギル・エヴァンス、アルバート・アイラーの名前がある。
ジャズ・ミュージシャンが出ているぞ、というただそれだけの理由で思わず買ってしまったものだろう。
狂ったようにライブハウスを徘徊し、何を読んでも何を聞いてもジャズになぞらえて考えてしまうというジャズ一辺倒の時期であった。
ジャズの名演奏、名盤を解説する四方田さんや評論家たちの表現がなんともかっこよく、自分もこんな表現をしてみたいと思っていた時期でもあった。
この本にも、そんなかっこいい文章がたくさん出てきます。
・・・両者が蔓草のように絡み合い、縺れ合うさまは圧巻であり、二筋の狂気の意志が競合し合っているように思われる/跳躍と痙攣(ジョン・コルトレーン)
とか、
・・・繊細にして祝祭感覚に満ちた巨大な天涯/不思議な浮遊感をもつ、捕えどころのない音楽(マイルス・デイビス)
みたいな、「クールでヒップ」、これぞジャズ、を読むものに感じさせてくれるような文章です。
しかし、いつごろからか、この類の表現にまったく関心がなくなってしまった。
なにを読んでも、「あ、またか」というという既視感と、「なんか違うな」というもどかしさ、むなしさだけしか感じなくなってしまった。
なぜか。
地震のおかげで再会したこの本を読みながら、おおむね以下のようなことを考えた。
四方田さんに限っていえば、この人の「ジャズ絶縁宣言」ということがある。
四方田さんは、著書『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』で、70年代以降のジャズの衰退にふれ、
・・・あるときジャズは潔い死を選ぶ能力すら喪失してしまったのだ
と、冷たい別れの言葉を述べている。
そこまで言った人を、改めて読む気にはならない。
もう一つは、「音は言葉では表現できない」という当たり前のことに気がついたせいです。
専門誌やライナーノートでいくらでもお目にかかれるこの類の表現、たとえば
・・・イマジネーションに飛んでいる/内面的なハーモニーの美しさ/ピュアーで官能的なトーン/通りいっぺんの教養主義を寄せ付けない心愉しい気遣いに満ちている/後ろ髪を引かれると形容されるバック・ビートを強調したタッチ
などなど、あげればいくらでもありきりがない。
それぞれは、まことにかっこういい。
多彩な形容詞や比喩・引喩・提喩・暗喩を用いたみごとなレトリック。
ジャズ特有のある種雰囲気を醸成し、これがジャズかと思わせてくれる独特な色合いをもっている。
しかし、いくら言葉を重ねても、それは決して音を説明してはいない。
隔靴掻痒、どこか空々しく、むなしい。
読めば読むほど、むなしさが増すばかり。
そのことを熟知しているミュージシャンは、だから、テクニカルな話はしてもこの手の発言はめったにしない。
音楽は、読むよりは聴くものだ。
当たり前か。
地震で転がり落ちてきたこの本が、バベルの塔から崩れ落ちたレンガのように見えた。
読まないほうが良かった、ということもあるのか。
なにやら、ふくむところのある文章になってしまった。
他意はない。みんな地震・原発のせいです、とでも思ってご海容いただければ幸いであります。