2012年04月04日

バット・ビューティフル

バット・ビューティフル [単行本] / ジェフ ダイヤー (著); Geoff Dyer (原著); 村上 春樹 (翻訳); 新潮社 (刊)
『バット・ビューティフル』(ジェフ・ダイヤー 著・村上春樹 訳/新潮社)

---ここはまるで降霊会のようだよ、バド---  バド・パウエル

バド・パウエルは、自分の頭をめがけて振り下ろされてくる警棒を見る。
何秒かあと、自分の頭を殴打し、頭蓋骨を割り、脳を砕くかもしれない警棒を見る。
警官のガンベルトにしがみつき、なんとか立ち上がろうとするバドに、声が届く。
「ニガーが」

ヘロインとアルコールの魔力がバドをとらえてはなさない。

<人生の痛みを、いくつかの曲の弾むようオプティミズムによって、いかに解消していたか>

を、みんな知っている。
でも、音楽によって与え返された対価は、十分には程遠い。


---もしモンクが橋を造っていたら---  セロニアス・モンク

モンクは、助手席で石のように固まっているバドを見る。
雨の中、車に近づいてくる警官の姿を見る。
バドの手から奪い取って捨てたヘロインの包みが、窓の外の水溜りに浮いている。
少しだけ中身を舐めたあと、警官は聞く。
「おまえのか、そいつのか」
モンクは答えない。
キャバレー・カードを取り上げられ、捨てられる。
「しばらく必要ないだろう」
バドをかばい、モンクは90日間服役する。

<ジャズのいいところっていえば、自分だけのサウンドを持てば、ほかの芸術分野であればとてもやっていけなかったような連中が、なんとかやっていけるというところだ。--他人とはちがう物語やら考えやらをアタマに詰め込んだ連中が、そういうなにやかやをジャズというかたちで表現することができたんだ。--銀行員にも配管工にもなれないようなキャッツ(連中)がジャズの世界では天才と呼ばれる>

モンクはニューヨークの秋の夕暮れを見る。
<都市が自らを修繕している>感じが好きだ。
「ラウンド・ミッドナイト」は悲しい曲だ。
そして、モンクはもうなにもしたくないと思う。


---彼のベースは、背中に押し付けられた銃剣のように、人を前に駆り立てた---  
チャールズ・ミンガス


ミンガスは怒っている。
暴れる用意がいつもできている。

ステージの前で話に夢中になっている女のテーブルを蹴倒す。
弾いていたベースを壁に叩きつける。
4本の弦だけで楽器につながったネックを手に男をにらむ。
ステージの上で、消火用の斧をもって同僚の椅子を真っ二つに叩き割る。

<すべてにおいて過剰なのだ。--かれは音楽の中ですべてを語れると信じていた。しかしそれでも、彼には語りたいことがもっとあった。>

盲目のサックス奏者、ローランド・カークに親愛感を持っている。
エリック・ドルフィーは音楽的に必要なパートナーだ。
エリックが、誰ひとり知った顔のない人間に囲まれてベルリンで死んだと聞き、彼に対するレクイエム「ソー・ロング・エリック」を書く。
生まれてきた自分の息子に、エリック・ドルフィー・ミンガスという名前をつける。


---その二十年はただ単に、彼の死の長い一瞬だったのかもしれない---  
チェト・ベイカー


チェト・ベイカーは誰のためにも吹かない。
自分自身のためにさえも。
ただそれを吹いているだけ。

黒一色のなかにポツリと落とされた白い水滴。
光り輝く。
「ホワイト・マザー・ファッカー!!」

女たちに取り囲まれ、カメラマンがどこへでもついてくる。
お定まりの売人がつきまとう。
この二十年で、歯はすっかりなくなり、目が敗北に打ちのめされ、<青白いビバップの詩人からしわくちゃのインディアンの酋長(チーフ)へ>と驚くべき速さで変化する。
<ジャズとドラッグ中毒の共生関係の、一目でわかる見本>

それでいいのか?
<生きていないものの領域に入り込んだ>んだよ。
と、チェトは笑う。


---楽器が宙に浮かびたいと望むのなら---  レスター・ヤング

---彼は楽器ケースを携えるように、淋しさを身の回りに携えていた---  
ベン・ウェブスター


---おれ以外のいったい誰が、このようにブルーズを吹けるだろう?---  
アート・ペパー


それでいいのか?
だれもが、いちどは口にする。
それでいいのさ。
やがてだれもが納得する。

ジャズは。
<それでも、美しい>


<あとがき>は、著者ジェフ・ダイヤーの託宣だ。

批評家が大きらいである。

ジャズは、例えそれがスタンダードの演奏であっても、そこで演奏されるものの中には演奏者の<批評>があり、あとに演奏するミュージシャンに対する<質問>が含まれている。
ミュージシャンが演奏で日々行っている<批評>と<質問>は、批評家の仕事のほとんどにあたる。
演奏者が批評家の仕事の大部分を演奏で片付けてしまうわけだから、批評家がジャズに対して行える貢献が少なくなるのはやむをえない。
<歴史的にみれば、ジャズについての評論は驚くほど--水準が低い>

ジャズミュージシャンの「損傷率」がきわめて高いことに驚かされショックを受けながらも、そこにジャズという音楽の根幹がかかわっていると、やや擁護的に指摘する。
黒人奴隷のブルーズに始まり、ビバップの誕生を経て今日にいたるジャズの歴史を概観しつつ、今のジャズにも目を向ける。

ジャズがどこへ行き何をするのかについてはあまり触れられていないが、

<ジャズというのは、その伝統が革新と即興に根ざしているが故に、大胆に因習打破を行っているときが最も伝統的になる>という、なんとも奇妙な関係の中で、<固有のヴォイス>を持たない音楽は、そこで聴くことをやめてしまう傾向にあるが、そのヴォイズが何を語ろうとしているかにもっと注意をはらう必要があるのではないか、とだけ述べている。

ジャズは。
いつも、現在形・・・。

キース・ジャレットは「これはジャズに関する本ではない。ジャズを書いた本だ」と評した。
こんな本はない、と思わせてくれる本。



---  ---の斜体部分は、本文章タイトル。
<>は本文の引用。


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2012年02月29日

JAZZ JAPAN AWARD2011

ジャズ専門誌「ジャズジャパン」が<JAZZ JAPAN AWAED>を創設し、第1回授賞式と受賞者による記念演奏が、2月25日、横浜で行われた。

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受賞者は、

 ・SOIL&“PIMP”SESSIONS(ニュー・ジャズ部門)
 ・井上銘カルテット(ニュー・スター部門)
 ・奥田弦(ニュー・スター部門)
 ・山中千尋(ジャズ部門)


このほか、小曽根真さん(東日本大震災に対する支援活動)など4部門。

ミュージシャンの優劣より日本のジャズシーンに対する貢献度を重視した選考との、主催者の説明がある。

賞の選考基準には、才能、技術、売り上げ数、話題性などがある。
フアン投票もよく使われる。
今回のような、ジャズに対する貢献度というのはあまり聞いたことがないが、これも立派な基準です。
受賞者の顔ぶれも妥当。

そもそも、才能やテクニックで選ぶといっても、いま活躍中の若い人は、若い人に限らないが、みんなうまい。
甲乙つけがたい。
売り上げ数で選ぶといっても、そのためのデータがない。
<貢献度>という抽象的で少し分かりづらい基準にせざるを得ないというところに、いま日本のジャズがおかれている厳しさがあらわれている、と言えなくもない。

まあ、厳しさは承知の上だ。
それはそれとして、なにはともあれ新しい賞の創設をまずは喜ばなけりゃいけない。
ジャズフアンにとって、こんなにうれしい話はない。

井上銘さんは、本コラムでも紹介したスーパーギタリスト。
奥田弦さんは、なんと10歳の天才ピアニスト。
話題性にはことかかない。

賞は、第一にミュージシャンに対する顕彰であるが、もうひとつ、世間への話題提供という意味も併せ持つ。

「スイングジャーナル」誌をはじめ音楽専門誌が次々に姿を消し、それにともない、各誌が行ってきた<賞>や<フアン投票>もなくなってしまった。
新設されたこの賞が、たくさんのメディアに取り上げられ、「ジャズ、世にはびこる」ための一助になるといい。


先だって、作家に与えられる新人賞としては最高の芥川賞が発表された。
「もらっておいてやろうか」発言で話題を呼んだ田中慎弥さんの「共喰い」は、25万部のベストセラーになった。

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なかみはさておき、というか小説の善し悪しは人によって違う。
音楽も同じだ。
点数化することができない世界である。
必ずしも、いいものだから売れる、支持されるとはならない。
話題性をバカにしてはいけない。

小説の世界では、新人賞作家には専任の編集担当者がつく。
編集者は、日常的に作家と接触し、企画を考え、執筆をうながし、原稿を読み、意見を述べ、時に酒を飲み、励まし、議論する。
また、出版社には、販売部があり宣伝部がある。
書店は、日本中どこにでもあり、読者は、好きな本を比較的容易に入手できる。
構造不況業種などといわれながらも、まだまだインフラは整備されている。

音楽の世界には、残念ながらこれがない。

音楽と文学を比べても仕方がないとも思うが、若い才能を支え育てるために必要不可欠なインフラの厚みに、この二つの世界には圧倒的な差がある。
ジャズフアンとしては、それが残念でならない。
活躍中の若いミュージシャンの実力は、文学でいえば新人賞受賞作家かそれ以上。
なんですよ。

「ジャズジャパン」の新しい賞が、彼ら彼女らを支える一助に、さらには、音楽インフラ拡充拡大への突破口になってくれるといい、と、切に希っているのであります。

まてよ、ってえと、今回の真の受賞者は「ジャズジャパン」誌ってことにならないか。
そうだな。それを忘れちゃいけないな。

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2012年01月31日

誰の音かわかりますか?

本棚にあった本をパラパラめくっていたら、面白そうな記事が目にとまった。

ビル・エヴァンス―総特集 (KAWADE夢ムック) [ムック] / 河出書房新社 (刊)

1964年と68年の二回、ビル・エヴァンスが行ったブラインドホールド・テスト(BT)の模様を「ダウンビート」誌が掲載したもの。
ブラインドテストとは、薬効を調べる医療分野やオーディオ機器の世界でよく行われている検査方法である。

人間の感覚は、付帯する情報によって左右される。
この機器は300万円かかったと聞いて聴くのと、こちらは2万円の普及品ですと言われて聴くのとではまるでちがって聴こえてしまう。
薬の場合も、医者が処方したただの粉が治療効果をもたらすことがある。(プラセボ効果)
俳句の世界でも、「名前でよむ」ということが言われる。
著名な人の詠んだ句は、みんな名句に見えてしまうというあれだ。

だれの演奏と知らさずにレコード・CDを聴かせ、演奏者をあてさせる。
ジャズの世界にもこれがあったんだ。
もっとも近頃ではあまり聞かないが、どっかで行われているんだろうか。

どんな目的で行われたのか、企画意図はこの記事ではわからない。
お遊び感覚のクイズ番組のようなものかなと思ったが、ぜんぜん違うものでした。

演奏者名などの情報をシャットアウトし、音だけに集中する。
そのうえで、音の性格、善悪、演奏技術、ハーモニー、音楽的傾向などにつきコメントしていく。
しごくまじめなものでした。
演奏者の名前をあてることなどまるで意識していない。
だからというわけではないだろうが、15人(枚)聴いて演奏者名をあてたのは2、3人にすぎない。
面白くないと言ってしまえばそれまでだが、ポイントは、音を聞き、その善し悪しを判断するということにおかれているので、まあしかたがない。
しかし、あのビル・エヴァンスがどのように音を聞き、その美醜・善悪を判断しているのか。
それを知ることができるというのは、めったにないことであり興味もある。
特に、ぼくのような耳悪リスナーにはとても参考になるはずだ。
それがなによりもありがたい。
などと思いつつ読ませてもらった。


というわけで、以下、ビル・エヴァンスの音の聞き分け方、です。 

取り上げられたミュージシャンは。

ジャック・ウィルソンp/ジョン・クレーマーts/オスカー・ピーターソンp/ロバータ・フラックp/ハービー・ハンコックp/オリバー・ネルソンp/カウント・ベイシー/ドン・エリスtp/クレア・フィッシャーp/フリードリッヒ・グルダp/バディ・リッチds/ディック・ハイマンp、orgなど15人(枚)

1)ほめことば
・・・プロフェッショナリズムを感じる
・・・オリジナリティにあふれている
・・・豪華だし、それ自体が完璧
・・・とてもきれいで、陽気な感じ
・・・とても幸せで、軽快な演奏
・・・王道を行くいい演奏
・・・スウイングしていた。創造的だ

2)けなしことば
・・・特定のアイデンティティをもっているようには思えない
・・・これが何を目的としているのかわからない
・・・個性がまったく感じられない
・・・二度と聴けないとしても、残念と思わない
・・・どんな音楽にも美しいところがあると思うが、この楽曲はとても貧相だ

3)楽器について
・・・(フェンダー・ローズは)独特の調音があるし、独特の音色がある。唯一の難点、それはピアノの持つ深みは出せないということ

4)音楽全般に関して
・・・フリーやアヴァンギャルドというものはないんだ。音楽的に成り立ってなおかつ音楽でありうるものが存在するだけ
・・・良いものは良い
・・・本物を探すことだけが大事で、「一番」とか「唯一」とか「最高」とかいう言葉で区別をつけるのはやめるべきだ
・・・才能があっても、創造的な人は滅多にいない
・・・音楽的な内容がいつも最重要項目。20年も経てば目新しさに関する限りは、意味がなくなってしまい、音楽の内容だけが問われるようになる
・・・ビッグバンドはいろいろな才能の場、特に作曲者の登竜門


読んでみての感想は、なんかあたりまえのことを言ってるなあということかな。
と思いませんか。
音を言葉で説明することは不可能なのだからして、これはいたし方ない。
というか、あたりまえのなかにこそ聴き方の王道がある、ということなのかもしれない。

音楽は、聴いても読んでもむずかしい。
ビル・エヴァンスのコメントにも、きっと、ぼくには読みとることができない深い内容が含意されているのだろう。

ミュージシャンは、いったいどんなふうに音を聴いているのだろうか。
特別な耳で、違った音を聴いているんじゃないだろうか。
いつもの疑問が、また、わき起こってくる。
ぼくなどとは違った音を聴いているとしたら、それはそれでちょっとくやしい。


posted by 松ぼっくり at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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