2011年08月12日

正しいジャズの聴き方

徘徊途上の古本屋で偶然手に入れた村上春樹さんの本の、これまた偶然に開いたところにあった一文が頭から離れない。

『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(村上春樹・安西水丸/新潮文庫)
村上朝日堂はいかにして鍛えられたか (新潮文庫) [文庫] / 村上 春樹 (著); 安西 水丸 (イラスト); 新潮社 (刊)

週刊誌などに連載されたエッセイをまとめたもので、村上さんの日常をごく軽いタッチで綴った雑文集である。
エクササイズの話とか、猫の話など肩こりしない話題ばかりである。
全裸で家事をする主婦の話なんかもあったりして、寝転がって読むにはちょうどいい。

めずらしく、音楽の話は一つしかない。
あるコンサート(残念ながらジャズではない)を聴きにいった時の経験を書いた一章がある。

心身ともに体の芯までくたびれきっていて、とても音楽を聴ける状態ではなかった。
ところが、曲のある部分で体中の疲れが何故かすうっと抜けていくのが感じられ、

・・・自分は今癒されているのだ

ということをはっきりと自覚する。

こんな経験は、後にも先にもこれっきりだった、と驚いているのだ。

・・・ときどき音楽は、目に見えない矢のように我々の心に真っ直ぐ飛び込んでくる。そして身体の組成をすっかり変えてしまう。---そういう素晴らしい体験はしょっちゅうできるわけではない。---でもそのような奇跡的な邂逅を求めて、我々はコンサート・ホールやジャズクラブに通う。がっかりして帰ってくることがけっこう多かったとしても。


最近、ジャズの聴き方が変わってきた。
ジャズを聴き始めた10年ほど前は、聴いている曲のスタイルやジャンルを見極めることに一生懸命だったり、ミュージシャンのテクニックを聴き分けることに意識を集中していた。
言ってみればジャズのお勉強で、これじゃあんまり面白くない。

変わってきたのはこの半年くらいだ。
震災の影響?
なぜかはわからない。
なぜかはわからないが、虚心坦懐、はだかでジャズに向き合ってる自分がそこにいた。

ジャンルやスタイルにこだわらない。
男女、年齢、国籍も関係ない。
ライブでもCDでもいい。
電気だろうが、非電気だろうがなんでもこいだ。
踊れようが踊れまいが、それがどうしたってもんだ。

だから、
ブルースでも。
スウィングでも。
ディキシーでも。
ファンクでも。
ビバップでも。
フリーでも。
ボサノバでも。
ラテンでも。
来るものこばまずだ。

いいものはいい、ダメなものはダメ。
好きなものは好き、きらいなものはきらい。

つまらんこだわりからやっと抜け出すことができた。
それこそが、正しいジャズの聴き方なんだ。
と、思っている。
もちろん、ぼくの場合に限ってのこと。

誰にも共通した正しいジャズの聴き方なんてあるわけがない。
聴きたいように聴き、良いと思ったものを良いと思えばいい。
こんな当たり前のことに気が付くまで、10年かかった。
それが進歩なのか退歩なのかはわからないが。

震災後、半年が経つ。
また、無性にジャズが聴きたくなっている。

・・・今癒されているのだ

そんな経験もしてみたい。




posted by 松ぼっくり at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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