隠語と呼ばれているもので、ミュージシャンや音楽関係者の間でもよく使われていた。
そういえば、最近あんまり聞かないなあ。
言葉は、前後をひっくり返し、数字は、音階記号を使っていた。
こんなふうに。
・・・昨日、ジャンマーで、ツェーマンゲーセンやられたよ
音階のツェー(C)を1とし、以下2:デー(D)、3:エー(E)、4:エフ(F)、
5:ゲー(G)と続いていく。
よって、上のセリフは、「昨日、麻雀で1万5千円やられた」となる。
何でもさかさまに言えばいいのか。
それじゃあ、「耳」はなんていうんだ? 「目」は?
養老孟司・久石譲『耳で考える』。
耳で考える ――脳は名曲を欲する (角川oneテーマ21 A 105)
- 作者: 養老 孟司
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2009/09/10
- メディア: 新書
人間が生きていく時、基本になるのは、目より耳らしい。
意識を失った人間が意識を取り戻す時、最初に耳が回復して声が聴こえてくる。
ついで目が開く。
死ぬ時もおんなじで、耳は最期まで聴こえている。
だから、もうすぐ死ぬ人に、「やっと逝ってくれたか」なんて、決して言っちゃあいけない。ちゃんと聴こえているから。
生き返ったら大変だ。
まあ、めったにはないだろうが、万が一ということもある。
こんなエピソードが山ほどでてきて面白いが、内容はきわめて真面目である。
“いい音楽とは何か”
コンピュータで良い音楽はつくれない。
コンピュータは、良いとはなにか判断できないから。
“なぜ人は音楽で感動するのか”
前から興味があった。久石さんの話が説得的。
“人に受け入れられる音楽(芸術)とは”
まったく新しいものは誰も理解できない。真ん中がいいという「塀の上理論」。
なるほど。
これらの問題に対する正しい答なんてのは、当然ない。
ないが、「音楽にはまだ知られざる力がある」ってことはよく理解できる。
「脳と聴覚の関係」をいろいろ考えさせてくれる本である。
と書いたところで、『さよなら、サイレント・ネイビー』という本があることを思い出した。
開高健賞を受賞した伊東乾さんのノンフィクションである。
東大で同級生だった友人がオウム真理教に入信、地下鉄サリン事件を引き起こす。
「なぜ、彼が?」が、この本の出発点。
・・・耳から入った音情報、特に情動を喚起するような情報は、脳の高次認知が発動するより先に、感情や行動を動かしてしまう。
音による洗脳の結果の犯行、ではないかということである。
聴覚の不思議さに驚かされる。
脳と聴覚の問題、なんとも不思議で興味が尽きない。
ところで、「目」は「メーメー」、「耳」は「ミーミー」というらしい。
「ズージャ」にはあんまり関係ない話だったが、まあいいか。