
青森県出身。30代前半。
三沢の米軍基地クラブ街で育つ。
中学時代から、HIP-HOP、ストリートブラックカルチャーに親しむ。
フリーフォームなループの形を模索(分かる人には分かる。ぼくには意味不明。今度、彼に聞いてみよう)。
quasimode、荻原亮、野本晴美TRIO、守谷美由貴QUINTET、中林薫平Band、レイモンド・マクモーリンなどでジャズ・ドラマーとして活動中。(今泉総之輔Webより抜粋)
経歴からは、黒っぽい、クラブ系のミュージシャンを想像するが、洗練された都会的なセンスと力強さが特徴のドラマー。
どっしりとした安定感があり、テクニシャンでもある。
余計なことだが、男っぽくてなかなかいい。
ジャズを子守唄と心得ているぼくの友人Aが、初めて彼を聴いたとき、
「これはスゴイ」とつぶやいて、そのまま深い眠りにオチテイッタ。
ジャズなんかにまるで興味がない、酒というエサ付きでやっと付き合ってくれる、そんな男のセリフである。
そんな男が、ちょっと聴いただけで、この若いドラマーの才能を見抜いていた、ということなのか。
今泉総之輔と友人Aに対するぼくの見方は、そのひと言でガラリと変わった。
4年前、再びジャズを聴くようになり、初めてのぞいたライブが、知り合いのジャズ・ピアニスト松本あかねさんのトリオだった。
今泉総之輔というドラマーとの出会いである。

新橋の小さなライブハウス「REDPEPPER」は、いつ行っても客は少なく、ガラガラだった。
「ジャズは死んだ」っていわれても、こりゃしょうがないかな、なんてことを考えながら聴いていた。
のらない出演者に、「柱の陰に熱心な客がいる」(「鳥類学者のファンタジア」奥泉光/集英社文庫)ぞ、なんてエリック・ドルフィーの言葉を訳知り顔に紹介したりして、今思うと恥ずかしいかぎりの余計なおせっかいをしていたもんだ。
ジャズは難しい。面白くない。
いわゆるモダン・ジャズといわれるビバップ以降のジャズには、たしかに、そういわれてもしかたがないところがあった。
問題は即興演奏である。と、ぼくは思っているのだが。
即興演奏を最大の駆動力とするビバップは、かつてジャズが持っていた歌と踊りという「お菓子性」をちっちゃな「膝ダンス」に封じ込めてしまった。(「東京大学のアルバート・アイラー」菊地成孔・大谷能生/文藝春秋)
膝ダンスとはうまいことを言う。
新しい、未知の世界を目指す、目指さざるをえない即興演奏は、演奏するものには何ものにも変えがたいエクスタシーをもたらしてくれる。それは、演奏者だけが体験し共有できる喜びなのである。
悲しいことに、そこにはリスナーが立ち入るスペースは用意されていないのだ。
ミュージシャンは、無人の月面でも喜んで演奏をする。きっと。
誰もいない月の砂漠で、新しいフレーズを創り上げ、一人にんまりと笑ってるなんて絵。
それはそれで、シュールで面白そうではあるが。
ミュージシャンってのはそういう人種なのだ。
きっとそうに違いない。
ジャズは、演奏者自身が楽しむ音楽で、人を楽しませるためのものではなくなってしまった。
それでいいのか。
いや、よくないだろう。
そうはっきり宣言して活動するグループがある。
quasimode(クオシモード)である。
今、最高の集客力を持つジャズ・バンドだ。

友人Aの見立てに間違いはなかった。
今泉総之輔は、昨年、その実力をかわれてquasimodeのメンバーになる。
彼は、あるインタヴューの中で、「楽しいジャズ」「踊れるジャズ」を標榜するこのグループの考えに「大いに共感を覚えている」と、話している。
リスナーを大切にというテーマを共有する4人の若者たちの活躍が、月面でひとり演奏を楽しんでいるミュージシャンを、地球に連れ戻してくれる「ハシゴ」になってくれるとうれしい。
このジャズ・バンドについては、改めて紹介させてもらいます。
「楽しいジャズ」「踊れるジャズ」とはどんなものか。聞いてみたい。
quasimodeの活動は国内外におよび、国内はもちろん、海外での評価も高い。
2008年のヨーロッパ・ツアー、2009年のノース・シー・ジャズ・フェスティバルは、ともに大好評だったと報じられている。
今年は、6月26、27日の二日間、上海万博で公演した。
ジャズは死んだ、なんてつまらぬお題目を吹き飛ばす起爆剤になってほしいと、心から思っている。
最近の今泉さん、とても忙しそうだ。
先日会ったら、すっかり「ツカレ目」になっていた。
ちょっと気になっている。

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