鳥取県米子市出身。
父親の影響で、幼少時よりピアノを演奏するなど音楽に触れる機会を多く持つ。
中学で吹奏楽部に入部、フルートを始める。
広島大学ジャズ研究会に所属、本格的にジャズに傾倒、広島市内のライブハウスで演奏活動を展開。
来広のジャズメン、池田芳夫、小山彰太、吉田次郎、安カ川大樹、川嶋哲郎、仙波清彦、納谷嘉彦、ロビーラカトシュら各氏と接触、センスと力強さを買われ、卒業後、東京での演奏活動を決心する。
現在、都内を中心に多くのミュージシャンのグループに参加、演奏活動を続けている。
2008年、自身のバンド<Risk Factor>(太田朱美fl/石田衛p/織原良次b/橋本学ds)の1stアルバムを発売。
2009年、<こめ>(水谷浩章b/片倉真由子p/太田朱美fl)を結成。
(プロフィールより)
金管楽器とばかり思っていたフルートは、じつは木管楽器だった。
そんなことも知らないのかと、あまりの音楽的教養の無さを人に笑われた。
知らないものは知らないのだからしかたがない。
第一、音楽的物知りになろうなどというつもりは毛頭ない。
ジャズの演奏を聴き、その楽しさに心躍らせ、美しさにひたりたいとねがっているだけなのだ。
だれもが認めるこの世界のトップランナー。
このところの活躍ぶりには目を見張らされる。
表現力やテクニックはいうまでもないが、なによりもすごいのは、フルートという楽器のイメージを変えてしまったことにある。
楽器の使用方法を変えた人はいくらでもいる。
山下洋輔さんは、ピアノを耐火テストの実験材料にしてしまった。
チャールズ・ミンガスは、ベースを壁に投げつけ解体し、弦がぶら下がったネックを武器に、気に食わぬ客を追い回した。
50年代、ニューヨークのジャズクラブでは、いつまでも演奏をやめないミュージシャンを舞台から引きずりおろすため、“シンバル投げ”が行われた。
太田さんはそんな乱暴はしない。
彼女は、フルートの使い方を変えたわけではなく、フルートという楽器のイメージを変えてしまった。
昨年、大塚のライブハウスで<Risk Factor>の演奏を初めて聴いた。
●Risk Factor(左から、石田衛、織原良次、橋本学、太田朱美、土井徳浩)
フルートというと、「繊細」「優雅」みたいなイメージをすぐ思い浮かべる。
しかし、ここには、上品で取り澄ましたところなどまるでない。
あるのは、すさまじい圧力でぐいぐい迫ってくる音の壁だ。
人の感覚器官を無理やりこじ開け入りこんでくるような強い音の衝撃波だった。
サロンアート風な優雅さとは違う、アクション・ペインティングのダイナミズム(みたいなもの)にあふれている。
つまらぬ小理屈や、さまつなテクニック論など超越した<ジャズの生命力>がみなぎっていた。
すごい。
すごいなあ。
ただただ感嘆した。
・・・気持ちよかった。かっこよかった。眠くなった。耳が痛くなった。うきうきした。踊りたくなった。さみしくなった。気持ち悪くなった。帰りたくなった。素敵だった。可愛かった。力強かった。泣きたくなった・・・。
なんでもありです。感じることが生きている喜びに通じますように。
太田さんは、いつもそう願いながら演奏している。
ジャズの即興性と限りなく広がる世界に魅せられ、挑戦する。
・・・幼児がシャボン玉のうたを歌うように笛を吹いていたい
そんな自然な気持ちの有り様も大切にしている。
ヨーロッパの古い民話に「ハメルーンの笛吹き」というのがある。
笛の音で、町中のネズミを川でおぼれさせ、約束をまもらなかった大人どもを懲らしめるため、町中の子供を山の洞窟にかくしてしまった。
太田さんのフルートは、人をどこへ連れてってくれるのだろうか。
ここはひとつ、ライブで見届けるしかあるまい。
大丈夫です。
フルートを振りかざし追い回されることは、多分、ないでしょう。
でも、彼女のフルートは<銀の矢>となってあなたの胸に突き刺さること間違いなし。
プロテクター必携でお出かけになることをおすすめする。
学生時代の研究課題は蘚苔類。
蘚苔とは苔のこと、と辞書にある。
普通には花の咲かない低い植物の俗称、ともある。
太田さんの力技なら、苔に花を咲かせることもできそうだ。
こんな人はいない。
そう思わせてくれる<笛吹き>です。
言い忘れた。
彼女のMCの面白さも☆☆☆☆☆。
太田朱美「皆既日食」(テーマのみ)
★太田朱美ホームページ
《リーダー・ライブ》
・5月9日(水)川崎 JAZZぴあにしも
fl 太田朱美 p佐藤浩一 20:00〜
・5月31日(木)関内 JAZZ IS
fl 太田朱美 p田中信正 20:00〜
♪その他ライブ情報は太田朱美さんのホームページでチェックできます!